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【2010年度聖句】 |
私は福音を恥としない。 ローマの信徒への手紙 1章16節 |
![]() 木村先生の今朝のお説教は「マルタとマリア」 と言うタイトルでお話してくださいました。 詳しくは下段をご覧ください。 |
![]() 約一ヶ月間のフインランド旅行から戻られた竹内兄から現地での 珍しい報告をして下さいました、9月から着任されるPoukka先生の近況も聞けました。 |
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![]() 大賀蓮が咲きました、2000年前の優雅な姿を見せてくれています。 |
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2010年7月25日 マルタとマリヤ ルカによる福音書10:38~42
マルタとマリヤ姉妹には既に父母がなく、姉のマルタが一家の主婦役であった、と思われます。マルタは活動的でありましたが、妹のマリヤは静かな性質であったと言われます。久しぶりにイエス様が来て下さった、ということで、姉妹はもう嬉しくて嬉しくて、どうやってイエス様と弟子たちをもてなして差し上げようかと、大忙しでありました。姉のマルタなどは台所に立って、あれもこれも、色々御馳走を作って差し上げようと、てんてこ舞であります。 イエス様は旅の疲れをいやすことのできる、勝手知ったる我が家のようなマルタの家でほっとした気分でしょう。群衆や多くの旅人に囲まれて、もみくちゃにされておられる状況から解放されて、ゆっくり時間であったでしょう. しかし、また、無駄な時間とてイエス様にとっては一瞬の間もなく、弟子たちにはまだ、教えておかねばならない神の御国の真理を解き明かしていかれたことでしょう。ルカは「善きサマリヤ人のたとえ」の話をされるその前の所に、こう記していますね。 ルカ10章21節の御言葉です。「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。」とあります。神の国の真理は天の父から与えられなければどこにもない。天国の神秘は、傲慢な人間や、自分で何とでもできるという自己中心の賢い者には隠されている。それは幼子のような清い純心な者の心にしかお示しにならない。そして、弟子たちにも、この真理と神から遣わされている神の御子イエス様御自身の救い主そのものであられることを弟子たちがどこまで理解してついていくか、その願いを秘めて、弟子たち1人1人に向けて、あなた方は幸いだ、と言っておられるのです。 22節~24節を見てみますと、「すべてのことは父から私に任せられています。父のほかに、子がどういうものであるかを知る者はなく、父がどういう方であるかを知る者は、子と子が示そうと思う者のほかには、だれもいません。」ここには、神の子であられるイエス様の胸の内が明かされています。どんな人間も、哲学者も律法学者も預言者も父なる神を全て完全に知る者はいない。神の子だけである。その神の御子のイエス様が示そうと思う者のほかに、だれもいない。この貴重な弟子たちに示していこうとされている。だからあなた方は幸いだ、ということです。 23節~24節は、「そして、イエスは弟子たちの方を振り向いて、彼らだけに言われた。「あなた方の見ているものを見る目は幸いだ。言っておくが、多くの預言者や王たちはあなた方が見ているものを見たかったが、見ることができず、あなた方が聞いているものを聞きたかったが、聞けなかったのである。」と記されています。イエス様は、マルタの家で、ひとときの間も惜しんで大切な教えを次から次へと喋りまくっておられる。妹のマリヤも弟子たちと一緒になって、イエス様の膝元で一心に耳を澄ませて大切な御国の神秘を、天の真理を聞き入っています。 一方、マルタは台所で大忙しであります。ルカは40節でこう記しています。「マルタは、いろいろのもてなしのために、せわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、私の姉妹は、わたしだけに、もてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃって下さい。」 マルタは今やあまりの忙しさに心が入り乱れ、ついにマリヤがちっとも手伝ってくれないのをマリヤに不満を言うのを超えて、イエス様に避難めいた語気を向けてしまいます。「何ともお思いになりませんか、何とか言って下さい」と親しい気持ちの緩みもあって、気軽にイエス様に述べています。イエス様は彼女を憐れみをもって答えていらっしゃいます。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに、思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリヤは良い方を選んだ。それを、とりあげてはなならない。」 マルタは料理の準備に心いっぱいです。イエス様はその状況のマルタに対して、料理に関連した言葉を用いて、もっともっと貴い人生の教訓を憐れみのまなざしで暗示されて話されます。これを私たちの平凡な言葉で言い換えますなら、「マルタよ、たくさんの品数の御馳走はいらないよ。そんなに忙しくしなくていい。唯一皿でよいのだよ。」こういうことを言われたのです。マリヤは良い方を選んだと言われる、ここでも、料理に関連して言えば、善い一皿を選んだのだ、という意味合いであります。マリヤの選んだ善い一皿というのは、イエス様が差し出しておられる一皿! それはイエス様の大事な話そのもの、それをマリヤはイエス様の膝元で、御言葉を聞くことであったのです。 これは本当に善い御馳走でした。天の御国で永遠の魂の世界でなくてはならない神の御子、イエス様からしか聞くことのできない「永遠の命の糧」であります。マリヤは最も善いただ一つの方を選んだということです。この世の現実の生活に、今を楽しく生きたい。また、いろんな心配事に心を散り散りに乱して毎日を無駄にすごしてしまうことが、なんと愚かなことでしょうかと考えさせられます。イエス様はマルタの選んだ役割が「悪いのだ」と言っておられるのではありません。又、マリヤの選んだ役割がマルタに比べて「より善い方」だとも言っておられません。イエス様はただ、マリヤの選んだ皿は、善い皿、だから、これを取り上げてはならないよ」と言っておられるのです。 大事な神様の御言葉を聞くことができるのは、聖書の御言葉が語られる教会の礼拝において、であります。「神の御言葉を聞きたい」との一点こそ、あなたの人生の時の流れで大事なことであります。教会の礼拝において語られる説教に、あなたの天の御国で永遠の命となる神の言葉が語られる。それを聞くために、一週間の最初の時を、何はさておいても、この神の御言葉の前に私たちは膝まづきたいのであります。「マルタよ、料理は一皿でいいのだ。早くお前も来て、私の言葉を聞きなさい」そう言われているのです。なくてはならぬものは唯一つ、それは「信仰」であります。イエス様の御言葉を聴いて、心を寄せ、イエス様の足元に座ってその愛を受けることであります。何の仕事をすることができなくても、イエス様に寄せる信仰と愛をもつことが、神の御国にまでつながる最も大切なことなのであります。 アーメン
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